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第41号 法友工体連会報を4回に渡り,毎週火曜日に公開していきます.

スポーツと科学と魂

法政大学工学部が小金井キャンパスに移転したのは昭和三九年です。この年に東京オリンピックが開催されました。そしてこの年に技連、工体連そして工文連が小金井キャンパスで本格的な活動を開始した年です。麻布の狭いキャンパスから東京郊外ではあれ、新たなキャンパスを得た学生の皆さんはいきいきと勉学と課外授業に取り組み、法政大学の理系学部としてカンブリア紀の一時代を築き上げました。この時代に工体連で頑張った皆さんは、卒業後、社会に出られてからもなお頑張り続け、現在の社会的地位を確立されました。毎年開催される工体連OB会のゴルフコンペは、工学部教員として過ごした現役時代にボクシング部の部長であった経緯もあり、毎年参加させて頂いております。その際の各クラブOBの諸氏との会話やゴルフ後の懇親会でのご挨拶を伺うたび、工体連OBの皆さんは、スポーツを通じて立派な社会人として活躍されている事を垣間見ることができます。
 だいぶ前のことですが、スポーツと科学のシンポジュームで講演を仰せつかりました。講演会終了後のパネルディスカッションには、北京オリンピックメダリストの朝原宣治氏、元全日本女子ソフトボールチーム監督の宇津木妙子さん、元全日本女子バレーボール監督の柳本晶一氏、日本を代表する経営学者の野村郁次郎氏の末席に私もパネラーとして参加しました。そのとき味わった強烈な衝撃は今でも忘れません。野村郁次郎氏はスポーツにおける暗黙知と形式知について、わたしはスポーツ科学の一環としてスポーツ計測の方法を紹介したのです。これらの講演に対して、宇津木妙子さんから「わからない」という一撃でした。スポーツ選手は命をかけてスポーツに取り組んでいる、要は哲学や科学で何がわかるということでした。このときスポーツ実践者の魂を知ったのです。工体連OBの皆さんの魅力は、これだと合点したのです。

 


工体連OB会新理事長となって・・・

 人生とは不思議なものである。そのドラマは、今から38年前の1980年に始まる。本来受かる予定の希望校にけられ、少しチャレンジであった法政大学に、それも創立100周年と言う記念すべき時に合格にたどり着く。大学では必ず体育会系に入部すると決めていた。しかし経験者の多いクラブでは必ずレギュラーになる保障はない。そこで應援團やゴルフ部等に入部しようと考えた結果がボクシング部であった。テレビ観戦は大好きであったが、いざ自らが殴り合うことには、少々引け目を感じていた。夏合宿までは半信半疑であり、父親からは、お前が鼻血を出すために大学に行かせたつもりはないと言われながら、1年生を終えた。2年生となり本格的にボクシングに打ち込もうとした矢先に、先輩から呼び出されて『土居、本部に行け。それは、お前が一番進級しやすい学科だからだ』と。先輩、同期、下級生の整列した中で、『明日から土居が、工体連本部に出向するから、皆応援してやってくれ。』その時に、学ランを着て、涙が自然に流れたことを覚えている。
 本部では、空手部、柔道部、少林寺拳法部他の先輩と、第二の下級生時代の幕開けでありました。本部同期は9人。4年時に委員長立候補選があり誰も手を上げない時に、現委員長に呼び出され、『土居、なぜ立候補しないのだ。』と言われ、『私は、同期で甲乙をつけたくない。皆本部に尽くしてきたので。』と答えると、『お前が立候補しなくて誰がやる。』と言われ、やむなく少林寺拳法部の主将を応援者に頼み立候補しました。これが、私の人生の社会奉仕という基盤となりました。工体連本部卒業後も部の代表として工体連OB会に係り現在に至ります。最近では、組織を活性化し後輩を育てていくことが私の人生に与えられた道であり、使命であると考えようになりました。皆様と共に工体連OB会を未来永劫、法政大学の中でもひと際輝き続ける北極星のような団体として楽しく成長させていこうではありませんか。