第34号 法友工体連会報を4回に渡り,毎週火曜日に公開していきます.
活躍するOB (15)
70歳、やっと仕事を終え、何をしようか考えた。自分のために何をしたか、ふっと考え、まだ体力が残っている。
3月の寒い日の横浜から藤沢までの20㎞を歩いてみた。その後何回となく周辺を、少しずつ距離を伸ばし歩いてみた、なんとなく楽しかった。
そうだ、四国の歩き遍路をしようと思った。インターネットで歩き遍路を探し、調べだしたら、無性に行きたくなり、後先を考えずに決行することだけを考え、計画し、9月に出発することにした。
歩く速度を平均25㎞/日として、全行程1200km、2か月と踏んで予定を立て、そのうち約半分を野宿と考えた。そのような計画は、妻からは絶対無理と言われ、あきれられていたが意地でも出かけることにした。
9月3日出発、9月4日台風18号で大雨、7番札所の十楽寺まで行けた。しかし荷物はしっかり雨を吸い込み、30kg以上になっていた。何とか民宿に助けられ、最初の遍路ころがし(厳しい登りの遍路道)である12番の焼山寺を目指した。きつかった途中の流水庵(山小屋)に一人で泊まった。
その後、最長40㎞歩き、何とか徳島県を踏破し、難所の70㎞の海岸通りをただ歩く工程になった。きつかった、何も考えず、途中では遍路小屋、バス停で野宿をして室戸岬の25番津照寺を終えたとき、眩暈がして一歩も動けなくなった。その時の気温は40度近く、アスファルト道路は50度以上で、熱中症になりかけていました。すぐ近くのホテルで休み、その後の行程の作戦変更をし、高知県はレンタルカーで踏破した。その理由は、高知県での工程は400km以上で、たった16のお寺で、しかも80km、70km、60kmと大変離れていたからだ。今の体力では、第一の目的である88か所を結願することができないと考えた。
その後、愛媛県では気温が下がり、再度歩き始めた。その後の作戦で、長距離間は電車を利用しながら、何とか21日間で徒歩500km以上歩き、88か所を結願する目的を達成できた。
この期間、徳島の剣道部の後輩の柴田君に道中の連絡と、何かあった時の保証人になってもらったことは心強かった。また何回となく道に迷い、地元の人に助けられ、場合によっては車に乗せていただき、多くの親切を受けた。
この旅を通じて、歩き遍路は9月にするものではない。その暑さは半端でなく、実際に全工程中歩き遍路をしている人には10人程度しか会わなかった。
この短い旅の中でも多くのエピソードがあった。初日に雷雨の中で無謀にも歩いたこと、翌日は台風一過で吉野川の潜水橋を開通後に最初に渡り、写真の被写体になったこと、山小屋の流水庵で素っ裸で水浴びをしたこと。星空のきれいなこと、熱中症の怖さを体感したこと、いくら水を飲んでもお小水になる前に汗として排出され、体温が異常に上がること、お遍路道が基本的には麓からお寺までほぼ直線的に登るため大変きついこと、9月は歩き遍路のシーズンオフで民宿も多く休業していること、等である。
不思議な体験をした。それは81番白峰寺で、予定した順路から真反対に下山して10km以上余分に歩いていた時のこと、クラクションを鳴らし運転手が手を合わせて通り過ぎた、また交差点で信号待ちをしていた女性がやはり手を合わせていた、自分はただ熱いため無意識に歩いていただけであった。
この3週間の体験は、通常では体験できない事柄ばかりであった。このお遍路旅が今後、自分の人生でどのような位置付になるか分からないが、大変貴重なもので、今振り返っても心躍るものだった。
今年は弘法大師様の生誕1200年にあたり、たぶん四国中にぎやかなものと思う。なにも1回で結願しなくとも、少しずつお遍路をするのもよいと思う。
今思うとお遍路の大変さを知らないで実行したのが功を得たのだと思う。皆様の中で、お遍路することを迷っている方がいらしたらぜひ実行してみてください。