第42号 法友工体連会報を4回に渡り,毎週火曜日に公開していきます.
工体連駅伝大会復活
「理系同窓会50+1 フェス」の催しとして我が工体連では駅伝大会を復活させました。かつて工体連では各部対抗で駅伝大会を開催しており、大学周辺で5㎞程度のコースを設定し、各部で競い合う姿が楽しいイベントでした。いつの頃か工体連主催の催しが消滅し、各部間の交流も最近では皆無に近い状態になってしまいました。我々OB 会では何とか駅伝大会を復活させ、学生だけでなくOB も参加して昔のような交流が出来ることを期待して企画し、実現することが出来ました。
競技者の安全上、一般公道ではなく小金井公園内を利用することを計画したのですが、最近では公園内に様々なレジャー施設が出来ており、休日には多くの人達で溢れています。当初は公園管理者から許可を得ることが出来なかったのですが、コースの場所と一般者に対する安全対策を十分に検討することを条件で交渉の上、何とか許可になりました。
1周1.7㎞、1チーム10 名、女子学生及びOB にはハンデ付きの条件で開催し、7 チームが参加しました。マイナスハンデにもかかわらず陸上部が圧倒的な強さで優勝しましたが、OB 参加のチームもハンデを活かして健闘しました。特に老体に鞭打って頑張ったOBの姿には感動しました。 今後も継続して開催する予定でいますのでより多くの方に参加して頂き、工体連及びOB 会の交流の場となることを期待しています。最後に今回の駅伝大会を開催するにあたり、陸上競技部の皆さんには多大なるご協力を頂きました。心からお礼申し上げます。
(文責 工体連OB会長 竹重高志80)
第41号 法友工体連会報を4回に渡り,毎週火曜日に公開していきます.
第22回 工体連お祭り
6 月10 日(土)小金井キャンパス東館食堂において工体連お祭りが開催されました。今年は10 団体から、現役とOB を合わせて78 名が参加し、大変な盛り上がりでした。記念講演では、情報科学部 デジタルメディア学科教授 雪田修一先生を講師にお迎えし、「人工知能の発展と職業の未来」との演題で、今、話題の人口知能に関するご講演をいただきました。
懇親会では、現役の学生とOB の交流を深めるとともに、学生時代の思い出話に花を咲かすことができました。毎年恒例となっている一発芸大会では、各部の芸自慢の学生が、日頃の鍛錬の成果を披露し大いに盛り上がりました。
最後に、参加者全員で校歌を斉唱し、楽しい1 日を終えることができました。工体連お祭りの活性化やさらなる発展のために、皆様のご参加ご協力をお願い致します。
文責 OB 会常任理事(お祭り担当)
加藤泰輔 柔道 04
飲もう会 in おごと温泉
5月27 日・28 日、琵琶湖の湖畔、大津市のおごと温泉での飲もう会OB 会。
団塊の世代と言われ、何も怖くなかった学生時代から早半世紀。古稀の年となり、気持ちは若いが体力が追いついて行かない世代となりましたが、三世代で43名が集まり、昔話に花が咲くと又元気が出て来ました。
もともと、飲もう会は工体連の幹部の交流と親睦を深めようと、桑折氏(現飲もう会OB 会会長)を中心に我々が4年生の時に作った会ですが、それを後輩達が引き継ぎ、工体連では長く続いたようです。10 年位前に柔道部の新年会に参加した時も、後輩が飲もう会の会長だと聞き、「へえー、まだ続いているのか」と嬉しく思いましたが、さあー、現在は?
OB 会は、おごと温泉での宴会、そして翌日は琵琶湖博物館での水環境の勉強、昼食には近江牛を食し、国宝彦根城での歴史の勉強と「ひこにゃん」との出会い、そしてJR 米原駅での解散となりました。
さあー、この会も、いつまで続くのやら?
文責 幹事 清水憲治 柔道 70
工剣会 第7回 九州山口支部会
毎年恒例の工剣会九州山口支部会を去る6 月10 日に福岡市博多区の八仙閣で行いました。
本部より妹尾会長、望月幹事長、そして西日本支部より高田先輩に参加して頂き支部会に花を添えて頂きました。
開会の挨拶、会長の祝辞、記念撮影の後、古賀副支部長の乾杯の音頭で楽しく和やかな雰囲気のなか懇親会が始まり、出席者の自己紹介で会場が一気に盛り上がりました。
諸先輩、同期、そして後輩が学生時代にタイムスリップし、苦しかった事、楽しかった事、遊んだ事、学んだ事(?)等々で酒が進み会話も弾み、大変有意義な時を過ごしました。
最後に、お互い健康だけには気を付けて、また来年6 月の第2 土曜日に再会することを約束して閉会しました。
その後2 次会に行ったことは申すまでもありません。
支部長 剣道部10期 粟生山仁志 73
第41号 法友工体連会報を4回に渡り,毎週火曜日に公開していきます.
硬式庭球部五十周年祝賀会
親睦テニス大会および祝賀会が平成29 年9 月2 日(土)に小金井キャンパスで挙行された。過去を遡ると10 周年、20 周年、25 周年、35 周年、40 周年と記念誌を発行し創部50 周年祝賀会に至った。10 周年記念誌によるとOB は52 名、現在のOB は280 余名と50 年の足跡は驚きでもあった。今回は、OB と現役生の協働により親睦テニス大会から祝賀会、加えて現役生と学校との調整などの協力があってこその集いであった。ここに現役生には大変感謝申し上げる。
準備期間で困難を極めたのはOB の所在地確認であった。各年代及び前後に協力を得てパソコン・携帯メール、電話を駆使して調べても100% 満足することはできなかった。苦労を重ねて往復はがきで50 周年記念への参加協力をOB に発送した。
祝賀会当日、早朝は雨模様であったが親睦テニス大会が始まる頃には雨もあがりコートが利用できるように現役生が準備して下さった。
OB30 名が20 分ルールで試合を行った。卒業後もテニスに取組む元気なOB や動きの不安なOB など色々な姿を見せてくれるが、総じて上出来の親睦テニス大会であった。
午後4 時からの祝賀会はOB45 名と現役生、硬式庭球部顧問である機械工学科教授の石井千春氏にも出席いただいた。司会は創部2 期生の西村晴道氏が担当、乾杯の音頭は16 期生の大澤智子氏にお願いした。
各テーブルでは各年代を超えた交流、OB と現役生との交流など、賑やかな歓談の時間を過ごすとともに、準備された「黄ばんだ昔のアルバム」、西村晴道氏制作の「50 年の歩み」と題したスライド、「過去の記念誌」などが配置され、興味をそそるものであった。
また、工藤和美氏、見元秦三郎氏、伴野公彦氏など年代毎の地方参加者の話、若いOB、現役生の話などもたいそう良かった。
当日の参加は1 期生~7 期生16 名、12 期生~ 18 期生が10 名、23期生~ 28 期生が13 名、33 期生~ 43 期生が6名の45 名であった。次回がいつになるか不明だが、若いOB に積極的に参加を望みたい。現在の主将、内尾健介君からは部の現況などの紹介があり、中締めの挨拶は2期生の上田勉氏がされた。
校歌斉唱は、元工体連本部委員長を務めた7 期生の沓悦男氏が参加者全員の心を掴み、「若きわれらが命の限り…」を全員で歌った。
この記事を執筆する私が一年生のときは、山口県県営競技場の施設で合宿を行い、東京からの夜行列車の旅、自転車での秋吉台までのサイクリングなど話題はつきない。思い出満載の50 周年記念祝賀会であった。
文責 祝賀会監事 硬式庭球部4期 松岡利雄 72
バスケットボール部OB会新会長
バスケットボール部OB 会会長に就任いたしました1970 年電気工学科卒業の宮﨑久男です。
昨年、創部してから50 周年を向かえ11月20 日に吉祥寺の東急REI ホテルで「創部50 周年祝賀会」を開催しました。懐かしいOB たちが集い、学生時代のことが思い出されました。体育館もなく屋外のコートでひたすら練習をして部活動を続けてきました。7年後に念願の体育館が建てられ、新しいバスケケットコートで練習することができるようになりました。現在は立派な体育館で練習ができて、部員数40 数名ほど在籍し、今年度は一部リーグに昇格し、リーグ優勝をしました!現役たちはとても頑張ってくれています。とてもうれしいことです。日本のバスケットボールはまだまだ世界には及びませんが東京オリンピックに向けてメジャーになってくれたらと思います。OB として後輩たちの活動を色々な形で支援し、活躍をこれからも応援していきたいと思います。
工体連 新入生歓迎会
5 月26 日( 金) に小金井キャンパス食堂にて工体連新歓が開催されました。参加人数は105 人と食堂の半分を埋める人数が参加し、非常に賑やかな会となりました。今年は生活課から主任の佐藤拓哉様、鈴木聡大様の二名。学務課から理工学部担当の石井泰地様、西野俊平様の二名、途中参加で小金井学生センター長の渡辺靖夫 先生に来賓としてお越しいただきました。来賓としてきてくださった方々には重ねてお礼申し上げます。
乾杯後しばし歓談した後、毎年恒例の一平ソバの早食いを行いました。各団体に加え、来賓から西野様も参加していただきました。各団体張り切った意気込みを言い、上位に渡す景品を求め一生懸命早く食べておりました。今年の優勝はソフトテニス部で他の部と1分以上の差をつける結果となりました。また、毎年恒例であるアームレスリング大会では、来賓である鈴木様、石井様の二名と各団体から二名ずつ出場して頂きました。ベスト8 から意気込みを各選手に聞き、それぞれ部活でのトレーニング成果をここで発揮します、など張り切ったものを聞くことができそれぞれの部の力のぶつかり合いを楽しむことができました。優勝は空手部で、決勝で敗れたボクシング部も健闘していました。
そして最後にエールと校歌斉唱を空手部に仕切ってもらい、工体連所属団体が輪になり一つとなって校歌を斉唱し、本年度の工体連新歓の最後を飾りました。
工体連委員長 岩橋祐典(水泳)
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第22回 工体連OB会親睦ゴルフ大会“阿部杯”
スキー部が5連覇! 個人戦、ベスグロも大接戦!
開催日:2017/9/9(土)9:20スタート
場 所:レイク相模カントリークラブ
天候にも恵まれ、36名9組にて例年通り“楽しく”厳しく“盛大に”開催されました。
個人戦は小出圭介選手(ボクシング部)が7 回目の出場にして初優勝!ベスグロ(80)は常連の米満菊男選手(空手部)と、はるばる愛媛から初出場いただいた小澤一徳選手(水泳部)のお二人でした。個人戦の奮戦及ばず、団体戦は総合力でスキー部が5連覇!中央道の渋滞によるスタート順の変更など、皆様にご協力いただき、 誠にありがとうございました。「法政おおわが母校」は夕暮れのゴルフ場隅々にまで響き渡り、感動のひと時でした。
来年も同じ時期に開催を予定しておりますので、今のうちに9月の土曜日の確保をお願いいたします。スキー部の5連覇をどこが阻止するのか?スキー部所属として、また、幹事としましても楽しみにしております。
文責 OB会常任理事(ゴルフ大会担当)
山田啓二 スキー85経営工
東京都法友会 in 池袋
本年5 月27 日(土)に東京都校友会主催の「東京法政まつり」が開催されました。
今年で4回目の開催と云う事ですっかり恒例となり、今年も150 名の卒業生が集り工体連OB 会からも清水OB・小畑OB・松尾の3名が参加しました。第一部では豊島区の高野之夫区長が講演されました。
豊島区は消滅都市という不名誉なレッテルを張られた事も有り、強い危機感をもって池袋を中心として国際都市になるべく未来志向の街創りを目指して行くと熱く語られました。
その後懇親会に入り、東京都校友会の高根会長の挨拶に続き、来賓の桑野校友会会長のご挨拶が有り乾杯を経て、和やかな懇親へと移って行きました。
アトラクションでは本学卒業生「奈月れい」さんがオレンジ色のコスチュームに身を包み、5曲のすばらしい熱唱を。さらにはチアガールの皆さんのかわいらしい演技、応援団のきびきびとした男らしい応援演技などが披露され、和気あいあいと歓談し、最後に一同で大円陣を組んで声高々に校歌斉唱。宮崎で開催される「全国卒業生の集い」での再会を誓い合って、めでたく御開きとなりました。
文責 OB 会顧問 松尾秀文 ワンゲル76
第41号 法友工体連会報を4回に渡り,毎週火曜日に公開していきます.
スポーツと科学と魂
法政大学工学部が小金井キャンパスに移転したのは昭和三九年です。この年に東京オリンピックが開催されました。そしてこの年に技連、工体連そして工文連が小金井キャンパスで本格的な活動を開始した年です。麻布の狭いキャンパスから東京郊外ではあれ、新たなキャンパスを得た学生の皆さんはいきいきと勉学と課外授業に取り組み、法政大学の理系学部としてカンブリア紀の一時代を築き上げました。この時代に工体連で頑張った皆さんは、卒業後、社会に出られてからもなお頑張り続け、現在の社会的地位を確立されました。毎年開催される工体連OB会のゴルフコンペは、工学部教員として過ごした現役時代にボクシング部の部長であった経緯もあり、毎年参加させて頂いております。その際の各クラブOBの諸氏との会話やゴルフ後の懇親会でのご挨拶を伺うたび、工体連OBの皆さんは、スポーツを通じて立派な社会人として活躍されている事を垣間見ることができます。
だいぶ前のことですが、スポーツと科学のシンポジュームで講演を仰せつかりました。講演会終了後のパネルディスカッションには、北京オリンピックメダリストの朝原宣治氏、元全日本女子ソフトボールチーム監督の宇津木妙子さん、元全日本女子バレーボール監督の柳本晶一氏、日本を代表する経営学者の野村郁次郎氏の末席に私もパネラーとして参加しました。そのとき味わった強烈な衝撃は今でも忘れません。野村郁次郎氏はスポーツにおける暗黙知と形式知について、わたしはスポーツ科学の一環としてスポーツ計測の方法を紹介したのです。これらの講演に対して、宇津木妙子さんから「わからない」という一撃でした。スポーツ選手は命をかけてスポーツに取り組んでいる、要は哲学や科学で何がわかるということでした。このときスポーツ実践者の魂を知ったのです。工体連OBの皆さんの魅力は、これだと合点したのです。
工体連OB会新理事長となって・・・
人生とは不思議なものである。そのドラマは、今から38年前の1980年に始まる。本来受かる予定の希望校にけられ、少しチャレンジであった法政大学に、それも創立100周年と言う記念すべき時に合格にたどり着く。大学では必ず体育会系に入部すると決めていた。しかし経験者の多いクラブでは必ずレギュラーになる保障はない。そこで應援團やゴルフ部等に入部しようと考えた結果がボクシング部であった。テレビ観戦は大好きであったが、いざ自らが殴り合うことには、少々引け目を感じていた。夏合宿までは半信半疑であり、父親からは、お前が鼻血を出すために大学に行かせたつもりはないと言われながら、1年生を終えた。2年生となり本格的にボクシングに打ち込もうとした矢先に、先輩から呼び出されて『土居、本部に行け。それは、お前が一番進級しやすい学科だからだ』と。先輩、同期、下級生の整列した中で、『明日から土居が、工体連本部に出向するから、皆応援してやってくれ。』その時に、学ランを着て、涙が自然に流れたことを覚えている。
本部では、空手部、柔道部、少林寺拳法部他の先輩と、第二の下級生時代の幕開けでありました。本部同期は9人。4年時に委員長立候補選があり誰も手を上げない時に、現委員長に呼び出され、『土居、なぜ立候補しないのだ。』と言われ、『私は、同期で甲乙をつけたくない。皆本部に尽くしてきたので。』と答えると、『お前が立候補しなくて誰がやる。』と言われ、やむなく少林寺拳法部の主将を応援者に頼み立候補しました。これが、私の人生の社会奉仕という基盤となりました。工体連本部卒業後も部の代表として工体連OB会に係り現在に至ります。最近では、組織を活性化し後輩を育てていくことが私の人生に与えられた道であり、使命であると考えようになりました。皆様と共に工体連OB会を未来永劫、法政大学の中でもひと際輝き続ける北極星のような団体として楽しく成長させていこうではありませんか。